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 この時、ダンネンベルク大佐支隊はモンバール~ニュイ間とシャティヨンを警備していましたが、この日鉄道守備の交代として後続諸隊の到着が予告されたため、更に南下してアリーズ=サント=レーヌ(モンバールの南東15キロ)~ベニュー=レ=ジュイフ間に前進しようと考えます

ガリバルディ将軍※1月4日のフォン・ダンネンベルク大佐支隊*シャティヨン守備○支隊司令部○第60「ブランデンブルク第7」連隊・第1、2大隊○予備槍騎兵第5連隊・第3中隊○野砲兵第7「ヴェストファーレン」連隊・軽砲第3中隊*モンバール在○第72「チューリンゲン第4」連隊○予備驃騎兵第1連隊・第3,4中隊○野砲兵第7連隊・軽砲第4中隊*ニュイ並びにラヴィエール(ニュイの東側・アルマンソン対岸)在○第60連隊・F大隊 ダンネンベルク大佐は南下の準備としてモンバールに増援を送り始めますが、同時(1月7日)に同地からフォン・ヘルテル騎兵大尉率いる混成支隊*が偵察のためスミュール(=アン=ノーソワ)への街道(現・国道D980号線)を下り、道中のシャン=ドワゾー(モンバールの南7.8キロ)付近で仏軍と遭遇し、双方短時間の戦闘で引き返しました

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※1月7日のヘルテル支隊○第72連隊・第9,12中隊○予備驃騎兵第1連隊・第3中隊の半数○野砲兵第7連隊・軽砲第4中隊の1個小隊(4ポンド砲2門) 報告を受けたモンバール守備隊司令アーダルベルト・レーベンベルガー・フォン・シェーンホルツ中佐(第72連隊長)は翌朝、麾下第1大隊長のバンゼ少佐に命じ、第1大隊に驃騎兵1個(第4)中隊、軽砲2個小隊(4門)を併せスミュールへ向かわせました

 ところがこの時、スミュールのリッチョッティ大佐もモンバール方面の敵を探りあわよくば撃破しようと前進を始めており、ゲリラ戦術に長けた彼らは敵バンゼ隊に悟られることなくその西側山中の雪深い林道を進み、モンバールの西郊外に出て街を奇襲しましたが、これはたちまち態勢を整えたシェーンホルツ中佐らによって撃退されてしまいました

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リッチョッティらはしばらくモンバール近郊で再度攻撃の機会を待ちますが、夕刻、スミュールから引き返して来たバンゼ隊に発見されて猛攻を受け、リッチョッティ本人は危うく捕虜となるところでしたが辛くも逃走に成功し、旅団も独軍の追撃を避けて南東方向へ脱出、ブリンヌ川(ディジョン西方のコート=ドール山地を水源に北西へ流れニュイの南方でアルマンソン川に合流する支流)沿いにフラヴィニー=シュル=オズラン(モンバールの南東19.2キロ)まで逃れて友軍に収容されています

 リッチョッティ旅団の行動を報告されたダンネンベルク大佐は、ひとまず南下を諦め、シャティヨン周辺に集合する南軍諸隊に対する南方からの脅威に備えて9日、麾下をモンバール~サン=マルク(=シュル=セーヌ)の線上に集合させ、第2軍団が到着するまでニュイを中心に展開し鉄道援護を行いました

ヴォージュ軍のイタリア人義勇兵たち 1月11日

ベニュー=レ=ジュイフで糧食の徴発を行っていた第60連隊の第4中隊が、突如強力な仏軍に襲われ駆逐されるという事件が起こります

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襲ったのはリッチョッティ旅団の一部で、ダンネンベルク大佐はすかさず一支隊*を送りますが、リッチョッティらは独軍がやって来るのを確認すると12日にエネ=ル=デュク(ベニュー=レ=ジュイフの北東9.6キロ)方面へ退却し、逃げ足早く13日にはアヴォ(同東27.5キロ)まで進んだのでした

※1月11日・ダンネンベルク大佐がベニュー=レ=ジュイフへ向かわせた支隊○第60連隊・第1,2,9,11中隊○第72連隊・第1,3,9中隊○予備驃騎兵第1連隊・第3中隊の1個小隊○予備槍騎兵第5連隊・第3中隊の1個小隊○野砲兵第7連隊・軽砲第3中隊の1個小隊○同連隊・軽砲第4中隊の1個小隊 同日、ダンネンベルク支隊は臨時に第2軍団に隷属し前衛となることとされます

 これは第2軍団の想定行軍路の前方に大佐の諸隊が展開する形となっていたからで、大佐の任務は男爵フリードリヒ・カール・フォン・ケットラー少将率いる第8旅団(第4師団傘下

第21「ポンメルン第4」連隊と第61「ポンメルン第8」連隊

)が代わり、将軍は師団から竜騎兵第11「ポンメルン」連隊の2個(第1,2)中隊と野砲兵第2「ポンメルン」連隊の軽砲第5と重砲第6中隊を増派されました

 ケットラー支隊はロアール、サルト両河川沿いに展開するカール王子の独第二軍の「生命線」、後方連絡路のひとつシャティヨン~ニュイ~トネール鉄道線を守備し始めます

この鉄道は前進する第2、第7軍団も使用するため、神出鬼没のガリバルディ麾下の義勇兵から死守しなくてはならないものでした

因みに数週間後、独南軍の後方連絡はエピナル方面の鉄道線に切り替わります

 1月13日